永正11年(1514年)5月5日、島津忠良の長男として生まれる。父・忠良は島津氏の分家・伊作家に生まれ、祖父・善久の死後、祖母が相州家当主・運久と再婚したため両家の家督として薩州家と対抗した。
大永6年(1526年)、貴久は弱体化した宗家の養子となる。これに不満を持った、もう1つの分家・薩州家の当主・実久と激しい主導権争いの末、島津氏の統一と薩摩の平定を果たした。
その後は、大隈の攻略に着手し、西大隈を手中に収め、その後の領土拡大の足掛かりとした。
明や琉球との交易にも力を注いだ。
鉄砲を実戦に初めて使用した戦国大名は貴久であるとされている。
また、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した際は、謁見し家臣への不況を許している。しかし、後に禁止した。
永禄9年(1566年)、剃髪し、嫡男・義久に家督を譲り隠居する。
元亀2年(1571年)、死去。享年57。