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浅野薫

浅野薫 あさの かおる

生没年:18??-1866? 出身:安芸国広島? 

浅野藤太郎。浅野忠雄。

役職:新選組諸士調役。副長助勤。


入隊前は医者


生まれは広島とも、備前ともいわれる。
入隊前は医者であった。

新選組入隊〜池田屋


新選組には文久3(1863)年秋ごろ入隊し諸士調役、副長助勤を勤めた。
元治元(1864)年4月頃からは島田魁、山崎烝、川島勝司とともに、京都に潜伏する長州系浪士の探索にあったった。

池田屋事変の際には、近藤勇の隊に属して激闘に身を投じたはずだが、浅野は無傷で遭ったという。
その功で、金20両の褒賞金を賜っている。

明保野亭事件で切腹した柴司の葬儀にも参列し、弔歌を残している。

このころ、諸士取扱兼観察に就任し禁門の変などにも出動した。

三条制札事件での疑惑


慶応2(1866)年9月12日に起こった三条制札事件の際には、変装し斥候役を務めたが、浪士たちに見つかるのを恐れ遠回りしたため連絡が遅れ、手柄を上げる機会を失った大石鍬二郎らから臆病者扱いされ追放されたというが、7月の名簿に既にその名がなく疑問が残る。

沖田総司に斬られる


翌慶応3年、脱退して御陵衛士を拝命した伊東甲子太郎に身を寄せようとしたが、新選組との間に編入を禁止する盟約があり、山科に匿った後、土佐に逃がそうとした。

しかし突然、近藤の思想を改めさせるといい屯所に出かけ、結局、川勝寺村の桂川で沖田総司に切り捨てられたという。
遺体はそのまま放置されたらしい。


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