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服部武男

服部武男 はっとり たけお

生没年:1842-1968 出身:播磨国赤穂 

別名等:服部三郎兵衛良章。

役職:新選組諸士調役監察。


最強の剣


天保3年、播磨国赤穂に生まれる。

盟友となった篠原泰之進、加納道之助、佐野七五三之助と共に神奈川奉行に雇われ、横浜外人居住区の警護の任についたこともある。

元治元(1864)年10月、伊東甲子太郎らと共に新選組に入隊したと思われるが、確証はない。

体格が良く、新選組隊中1、2を争う剣術の他に、槍術や柔術も遣ったといわれる。

入隊当初は尾形俊太郎の五番組に属し、翌慶応元年の再編制時に諸士調役監察に任命され、同時に撃剣師範となる。

11月の近藤の長州出張に随行、翌年9月の三条制札事件では目付役として活躍し、金千疋の褒賞金を受けた。

油小路での壮絶な最期


慶応3(1867)年、伊東らと共に御陵衛士を拝命して新選組を脱退し、高台寺塔頭月真院に移り、高台寺党と呼ばれるようになる。

11月18日、暗殺された伊東甲子太郎の遺体を引き取りに行った際、待ち伏せする新選組と、油小路で戦闘になった。
藤堂平助、亡内有之助が斬られ、三木三郎、加納鷲尾、富山弥兵衛、篠原泰之進が逃げた後も独りで奮戦したが、最期は原田左之助に槍で衝かれ絶命した。

その身体には20余りの傷を負い、両手に刀を握ったまま大の字になって倒れていたと伝えられている。
享年36。


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