平間重助 ひらま じゅうすけ
生没年:1824-1890? 出身:常陸国水戸 父平間勘右衛門
別名等:平間重介。十輔。
役職:
水戸時代
常陸国水戸藩芹沢村の農家・平間勘右衛門の長男として生まれる。
11歳の頃、芹沢鴨の父・貞幹に従って藩主・徳川斉昭の狩のお供をしたという記録が残っている。
浪士組とその後
文久3(1863)年、浪士組に参加。六番隊の芹沢鴨の組に属して上洛する。
入京後は八木邸に入り、残留する。浪士組では副長助勤、勘定方を務めた。
以降、芹沢派の隊士として、大坂力士との乱闘など悪行を重ねるが、平間自身は酒もあまり飲まず穏健な人だったという。
同年9月16日の夜、泥酔して寝ている芹沢らが近藤一派に暗殺されたとき、平間は輪違屋の糸里とともに別室で寝ていて難を逃れた。
はじめから襲撃の対象から外れていたようである。
その後、平間の消息は不明となる。
明治に入って、平間が岩手県江刺郡で養蚕教師として働き、明治23年9月、病死したという話が残されている。