平山五郎 ひらやま ごろう
生没年:1829-1863 出身:播磨国姫路?
世に出るまで
浪士組上洛時35歳であったと言う記録があることから、文政2年の生まれであると言われている。
播磨国姫路もしくは常陸国水戸の出身であるという。
芹沢鴨・新見錦らと同門の神道無念流の免許皆伝を許されている。
左目の視力を事故で失ったが、刺客からの打ち込みにも対応したといわれている。
浪士組参加
芹沢らと共に浪士組に参加、上洛時は土方・山南・沖田・永倉・原田・藤堂と同じ芹沢の六番組に配属される。
上洛残留後は副長助勤となる。
芹沢派として行動を共にし、大坂力士との乱闘事件にも加わっている。
粛清
9月16日夜、芹沢らと共に泥酔し八木邸で熟睡しているところを刺客となった山南、原田に刺殺された。
享年35歳。
平山と同衾していた天神の吉栄は土方らにより逃がされた。
壬生寺の墓碑が田中伊織(新見錦)、野口健司らが7人連名になっているのに対し、平山五郎の名は局長・芹沢鴨と連刻され別格となっている。
このことから、平山は局長格であったのでは?との説が近年浮上している。