加納道之助(加納鷲雄) かのう どうのすけ(かのう わしお)
生没年:1839-1902 出身:伊豆国賀茂郡加納村 父加納伴平宗通
別名等:加納鷲雄。伊豆太郎。通広。G雄。政道。
尊攘の士
天保10年1月9日、加納伴平宗通の嫡男として伊豆国賀茂郡加納村に生まれる。
若い頃に江戸へ出て、深川佐賀町の伊東道場で塾頭・伊東大蔵(甲子太郎)に北辰一刀流の剣を学んだ。
また、篠原泰之進、服部武雄、佐野七五三之助らと交流を持ち、尊皇攘夷の盟約を契った。
新選組
元治元(1864)年10月、伊東甲子太郎らと共に京に上り、新撰組に入隊した。
入隊当初は谷三十郎率いる八番大砲組に配属され、翌年春の再編成時には伍長となった。
離脱〜油小路の変
慶応3(1867)年3月、伊東らと共に御陵衛士を拝命し新選組を離脱した。
油小路の変では、三木三郎、篠原泰之進、富山弥兵衛と共に脱出に成功し、薩摩藩邸に逃げ込んだ。
12月18日の近藤勇襲撃にも参加した。
近藤勇との顔合わせ
戊辰戦争に際しては、赤報隊を経て薩摩軍に参加した。
慶応4(1868)4月4日、流山で捕縛された大久保大和が近藤勇であることを見破ったのは加納である。
維新後
その後は野州、奥州を転戦し、維新後は開拓使、農商務省などに出仕した。
明治35年10月27日、東京麻布の自宅で没した。
享年64。