松原忠司 まつばら ちゅうじ
生没年:18??-1865 出身:播磨国小野
別名等:松原忠司誠忠。忠次。
役職:新選組四番組長。
生誕
播磨国小野藩士の子に生まれる。
柔術を学び、脱藩後大坂に出て柔術道場を開いた。
浪士組入隊
文久3年春、最初の募集に応じて浪士組に入隊する。
忠司はこの時、27、8歳であったという。
8月18日の政変時には、坊主頭に白鉢巻、手には大薙刀という異形で出動し、「今弁慶」の異名をとった。
池田屋にも参戦し褒賞金15両を賜っている。
副長助勤、七番大炮組長を務め、慶応元年の編成では四番隊組長と柔術師範を兼任した。
切腹
忠司は自分が殺害した浪士の妻を妾として囲っており、それを土方に厳しく咎められた。
忠司は新選組幹部として責任を取ろうと思いつめ、切腹を謀った。
一命を取り留めたが、その傷が悪化して死亡した。
切腹未遂後の9月1日、当の愛人・安西某と心中したと言う話もあるが、子母澤寛の「壬生心中」での創作であるといわれている。