尾形俊太郎 おがた しゅんたろう
生没年:18??-1???
役職:新選組五番組長。見廻組格
謎多き生涯
肥後国に生まれたといわれる。
文久3(1863)年7月頃の浪士組名簿に始めて登場すことから、第一次募集で入隊したと思われる。
副長助勤となり、元治元(1864)年暮れの行軍録では五番隊組長となっている。
将軍家茂の上洛を要請するための近藤勇の江戸行きに、ブレーンとして同行した。
慶応元年には、山崎烝、篠原泰之進らと共に諸士取扱兼監察の職に就く。
同時に、伊東甲子太郎、武田観柳斎とともに文学師範にも任命されていることから文武両道の人物であったと思われる。
大目付・永井尚志の長州詰問に随行する近藤の長州出張に2度に渡って同行し、情報収集などに活躍した。
慶応3年6月10日、新選組が幕府直参となると俊太郎は見廻組並の格付を受ける。
鳥羽伏見を戦い、甲州勝沼の敗戦後、斎藤一らと共に会津若松へ転戦した。
その後消息不明となっている。