殿内義雄 とのうち よしお
生没年:1830-1863 出身:上総国武射郡 父土屋忠右衛門
別名等:殿内大二郎。
役職:新選組局長。見廻組与頭格
生い立ち
上総国武射郡森村の名主・土屋忠右衛門の末子として生まれ結城藩に仕える。
安政3(1856)年と文久2(1862)年には昌平黌で学んだ。
残留浪士組の取りまとめ
文久3(1863)年、浪士組募集に応じる。
当初目付役を務めていたが、途中で罷免され、一番組の根岸友山の組に編入される。
入京後、浪士組本体の江戸帰還が決まると、浪士取締役・鵜殿鳩翁より、残留組の取りまとめを委任された。
家里次郎、根岸友山、粕屋新五郎らの同士を得、芹沢派、近藤派とともに会津藩御預かりとなる。
しかし、殿内らは芹沢鴨、近藤勇らとは志が異なっていたため対立する。
暗殺
3月25日夜、京都四条大橋の上でで近藤派に暗殺された。
残留決定からわずか2週間ほどの出来事である。
後の近藤の手紙に「殿内に天誅を加えた。」とあるが、殿内には非はなく、
浪士組の代表者を任ぜられたことのみで、「新選組」主権争いの最初の犠牲者となったのである。