石蔵屋事件
慶応元(1865)年1月、大坂にあって情報収集の任についていた谷万太郎は、土佐出身の浪士が大坂焼き討ちを計画しているとの情報をつかんだ。
谷は道場の一門と独自に浪士の潜伏場所を突き止め、ぜんざい店「石蔵屋」に浪士たちを襲撃し、計画を未然に防いだ。
世に言う「石蔵屋事件」である。
この襲撃メンバーに、先に新選組を脱退していた阿部十郎の姿があった。
阿部は事件後、新選組にいる同士・浅野薫から説得され、数ヵ月後、新選組に再入隊を果たすのであるが、その際、浅野は阿部に対して
「このたび、江戸から伊東甲子太郎という者が同士とともに入隊した。伊東は近藤勇と違い見所があり、共に勤王を志すべき人物であるから、君も新選組に戻ってくれ」
という内容のことを語り、説得に当たったという。
当時の新選組は池田屋以降隊士が増加し、組織として充実していたが、その反面、新選組内部には潜在的な「反近藤派」が存在し、その拠り所として伊東甲子太郎の存在がクローズアップされて来ていたことを物語るエピソードである。