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明保野亭事件


池田屋事件後も不逞浪士取締を続ける新選組は、6月10日、明保野亭(曙亭)という料理屋に長州の浪士20名ほどが潜伏しているという情報を得た。
そして同日正午頃、武田観柳斎が応援に派遣されていた会津藩士5名を含む20名の隊士を率いて出動した。

到着した新選組は明保野亭の一階をくまなく捜索したが怪しいものが居なかった。
ところが、突然2人の男が、二階から駆け下りて逃走しようとした。
武田は「逃がすな!」と叫んだ。近くにいた会津藩士・柴司が1人を垣根に追い詰めた。
男が抜刀したので柴は槍で突き倒した。

しかし、男の正体は長州人ではなく、土佐藩士・麻田時太郎という者だった。
当時の土佐藩は藩主・山内容堂を中心とした公武合体派で、会津藩とは友好関係にあった。
武田らは麻田を解放し、町奉行所に引き渡した。
会津藩は、柴の行為について正当な職務遂行であったとしながらも、医師と謝罪のための使者を土佐藩に派遣した。
これに対して土佐藩は「この度の事に遺恨なし」と返答した。

しかし浅田は土佐藩により、士道不覚悟として切腹に処せられた。
そうなると会津藩としても柴を不問にすることが出来なくなった。
藩執行部の苦悩を察知した柴は、6月12日、兄の介錯で自刃して果てた。

翌日の葬儀に出席した、土方、井上、武田らは、21歳の若さでの非業の死を心から嘆き悲しんだという。


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