浪士組上洛
彼らに転機が訪れる。
清川八郎の建言書が幕府に採用され、浪士組が募集されることになる。
近く上洛する、将軍・家茂の警護のため、浪士の中から有志を募り、浪士組を結成し、京へ派遣するというのだ。
応募すれば幕臣に取り立てられる可能性も出てくる。武士になることが夢であった近藤、土方は一もなく二もなく参加を決めた。他の者たちにも悪い話ではなく、皆、参加することとなった。
江戸小石川の伝通院には定員を50名の約5倍の人数が集まっていた。
その中には、水戸浪士・芹沢鴨、新見錦らの姿もあった。
浪士組上洛に当たっての隊編成が発表された。近藤のみが道中先番宿割という役目を与えられた。他の試衛館の面々は三番組に配属され、土方・沖田・山南・永倉・原田・藤堂は芹沢が小頭を務める隊に、井上は新見の隊となった。
浪士組230余人は江戸伝通院を出発した。
本庄宿で、ある問題が起こった。芹沢の宿が手違いで用意されておらず。立腹した
芹沢が野宿をするといって大篝火を炊き始めたのだ。火事の危険もあり、宿場は大騒ぎとなった。
宿割の責任者である近藤はせひたすら芹沢に詫びた。そのうち、芹沢も気が済み、火は消され事なきを得た。